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このような方にオススメです
足半の履き方
足半のスペック(鵜匠バージョン)
足半の歴史

このような方にオススメです

○足をしっかりさせたい
○軸感を鍛えたい(武道・スポーツ・ダンスなど)
○バランス感覚を鍛えたい
○腰痛・肩こりなどをよくしたい(すぐに戻ってしまう方)
○楽な歩き方・楽な走り方に改善したい
○なかなか痩せにくい
○最近、よくつまずいてしまう
○むくみ・冷えがひどい
○足にトラブルがある(外反母趾・タコ・O脚・膝が痛い・股関節が痛い)
○自分の身体と積極的に向き合いたい

※使用者の感想からのオススメで、効果・効能を保証するものではありません。

Amazonで購入できるようになりました。

足半の履き方



履き始めて、最初の1週間は足半も足裏も硬く、痛くて30分も履き続けられないと思います。
5〜10分の使用でも効果はでるので、無理をしないで履いてみてください。
日に日に長く履けるようになってきます。最初は素足より足袋や足袋型靴下を使うといいと思います。

1.足ができるまで、スリッパ代わりに室内で履くべし
2.特に最初の3週間は足袋や足袋型靴下を併用するべし
3.外で試したい方は自己責任で(笑)
飛脚が足半を使っていましたが、その走法は失われています。
足半を使った歩き方や走り方は研究途中です。
『足を戻す・作る・鍛える』といった使い方をオススメします。
足半を履いて、室内で『立つ・歩く』が基本になります。
ちなみにわたしは、足半ウォーキングで32km 足半ランニングで3kmを試したことがあります。どちらも水マメができました。まだまだわたしの足も発展途上の立場です。


水マメができてしまったら、潰さずにいれば2日ぐらいで治ります。足裏ができてないと水マメもできやすいですが、異常なことではありません。一度傷ついた箇所は強くなるようにできているので、安心して足を鍛えていってください。

使用しはじめて1ヶ月ぐらいは足裏の新陳代謝も上がり、皮膚がポロポロと落ちやすく、一時的にガサガサになりやすいです。軽石などでお手入れしてあげてください。足裏ができてくると皮膚はツルツルになってきます。
皮膚が硬くなるイメージがあると思いますが、裸足の民族も足裏はプニプニです。
新品の足半ぞうりは鼻緒も底も少し硬いです。

このように少し折り曲げると、履きやすくなります。
最初は素足で履くと痛いです。
このように踵をつけるのが正しい履き方になります。
やってみるとよくわかりますが、まともに歩けません(笑)
悪い子は真似しないでください
わらじ掛け足袋を使って、足半を履いた様子です。

最初は素足より足袋や足袋型靴下を使うといいと思います。

外で履かれる場合も足袋との併用をオススメします。
このように端をつかんで、足ゆび力アップもできます。

歩くときは指に力を入れないのがコツです。

足半のスペック

足半【鵜匠バージョン】

長良川の鵜飼い(鵜匠)の方が、今でも使っている足半を復元しました。
特徴は、数ある足半の形状の中で、最も長さが短いということ(約10cm)。
形が三角のおにぎり型をしています(多くは先端が普通のぞうりのように角丸四角)。

鵜飼いの方はシーズンオフに藁で200足ほど編むそうです。水濡れしたときのグリップ力はピカイチですが、物自体の耐久性が弱く、室内では乾燥した藁から激しくクズが出ます。復元にあたって、ここら辺を解決するために素材は竹皮を選択。竹皮のわらじ(ぞうり)というのも古来よりありましたが、当時は高級品だったそうです。
鼻緒も下駄などでも使われているような、しっかりとした幅広タイプを使用。竹皮は1ヶ月も使用するとペタンコになってくるので、高さが保たれるように、タイヤ底を使用。これが滑り止めにもなっています。

■サイズ:約10×幅9.5×高さ1.3cm(縦横のサイズは1cmほどバラツキがあります)
■重さ:約130g
■素材:竹皮 ワラ縄 木綿 天然ゴム

手編みのため、左右のサイズに若干のバラツキはありますが、使用に際しては問題ありません。不良品ではございません。あらかじめご了承の上お買い求めください。

どうしても、気になる方はご購入をお控えください。

※掲載写真はデジタルカメラを使用している関係上、実際の商品と色・質感などが若干異なる場合があります。

足半の歴史

精巧で芸術的な多くの作品がある。
しかし、日本人にとってはあくまでも
日用品であるにすぎない。
テオドール・デュレ・美術評論家
宮本馨太郎著『民具研究の軌跡』(足半ぞうりの研究)1977年 より


足半とは、普通の長さの半分しかなく、踵が出てしまう草鞋の総称です。
鎌倉時代から戦後ぐらいまで、ざっと7〜800年ぐらいは履き続けられました。

アチックミューゼアム(日本常民文化研究所)が1936年に発表した論文『所謂足半に就いて』では、全国から287点の足半を集め、構造や結び方の分析を行っている貴重な資料です。これをみると中には20cmというモノもあります。本当に踵のみが出るタイプですね。
上野の西郷隆盛像が履いているのはこちらのタイプです。
畑仕事や船の上で漁をするにしても、すべてが身体を使った仕事。
足の動きを邪魔しないというのが最低限の条件で、さらに足の機能を高める目的で草鞋が使われたと思われます。現代でも、沢登りでは地下足袋+草鞋が使われています。苔などが多い沢では草鞋が一番滑りにくいとのことです。

そんな便利な草鞋を、さらに半分にして踵を出してしまったのが【足半】です。

この奇妙な履物、踵がないの泥の跳ねあがりが少なく、足と履物との間の密着度が高く、小石がつまることも少ない。水中では、この小さな形状から水の抵抗が少なく、川の流れに足を取られにくく、スパイクの役目もしていました。見た目以上に便利なモノでした。

最低限の保護・足の機能アップで使われた道具(民具)だと考えられます。

足底アーチ構造の前2点をサポートし、傾斜がかかることで踵にキチンと自重がかかるようになります。これが履くだけで強化・強調される道具です。

さて、そんな足半はいつから登場したのでしょう?

宮本馨太郎著『民具研究の軌跡』(足半ぞうりの研究)によると、言葉のみでは『源平盛衰記』の中に【半物草】というモノが登場していますが、現存しておらずこれが足半であったかは確認ができません。

絵画資料では、永仁元年二月(1293年)製作といわれる【蒙古襲来絵詞】(もうこしゅうらいえことば)に足半を履いた武士が登場しています。
春日権現霊現記(1309年)にも足半を履いた、武士や僧兵が登場します。

このことから少なくとも鎌倉時代から足半は存在していたとのこと。

信長公記』にも、朝倉との戦いで裸足のまま活躍した兼松(金松)正吉に、信長が褒美として足半を与える場面があります。この足半は兼松家に家宝として受け継がれて、現在は名古屋の秀吉清正記念館に寄贈、展示されています。

信長年来御足なかを御腰に付けさせられ候。今度刀根山にて、金松又四郎武者一騎山中を追懸け、終に打ちとめ頸を持参候。其時生足にまかりなり、足はくれなゐに染みて参り候。御覧じ、日々御腰に付けさせられ候御足なか、此時御用にたてらるゝの由、御諚候て、金松に下さる。且は冥加の至り、且は面目の次第なり。

信長公は普段から腰に足半のぞうりを下げておくのが常であった。今回の戦で兼松又四郎は、敵の武者を追って刀根山山中を駈けまわり、これを討ち取ったものの、首を持って信長公の御前に参上したときには足は裸足で紅に染まってしまっていた。それを見た信長公は日頃携行していた足半を腰から外し、「今こそこれが役立つ時ぞ」といって兼松に与えた。冥加の至りであり、光栄これに過ぎたるものはなかった。

戦場で武士達に愛用された足半も時代の流れと共に、戦闘用具から農具、漁具と移り変わりました。

幕末から明治ぐらいには洋靴が履かれるようになってきます。

西洋式軍隊訓練が盛んになり、1870年に陸軍の兵士用の靴を国内生産するために、「伊勢勝造靴場」が設立される。

1907年(明治40年)に三越呉服店でデパート初の靴売場を設け、紳士・婦人・子供靴が販売されるようになる。

大正に入ってから地下足袋も開発され、一般人にも洋服着用が広まるようになり、戦後は本格的に靴が広まってきます。

草鞋や足半は、一部での特殊な使用を除き、一般人が履くことはなくなりました。

足半は今では長良川の鵜飼いの方が自分で使うように作られているぐらいで、ほぼ途絶えてしまったといってもいいでしょう。

上野恩賜公園の西郷隆盛像(1898年・高村光雲作)が履いているのも足半です。

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足半屋メニュー



こんにちは。足半屋主人の松田俊輔ですm(__)m

1978年3月17日生まれ
猫2匹が居候中

趣味/登山・読書(漫画)・カメラ(写真)・ストレッチ・ライブ巡り・猫のお腹に顔を埋める

好きな食べ物/カレー・餃子・唐揚げ・讃岐うどん・ナマビール

夢/田舎暮らし

仕事は整体師をしていますが、来られる方の足が年々崩れていくコトに危機感を感じて、なにか出来るコトはないかと模索していく中【足半】(あしなか)という昔の履物に出会いました。

残されている文献・資料を基に約1年かけて復元しました。
正しい足半の使い方と足に関する情報を提供していきます。

どうぞ、ごひいきに。


渋谷整体ブログ